告別

かわいいねこのて、ねこのあし

aurora ark

もうきっとたぶん大丈夫

 

この歌詞から始まるauroraがすごくすきだ。そのワンフレーズを聴くとここまで来てよかったって毎回思う。

 

ツアーが終わってしまった。

 

あと何回ライブをしてくれるのだろうか、あと何回ライブに行けるのだろうか、毎回一緒に見てくれているあの子はこれからも元気で一緒にBUMP OF CHICKENのライブに行ってくれるのかな、ライブが終わった後とか新曲が出る度に感想を言い合えるフォロワーはこれからもBUMP OF CHICKENのことをすきで話してくれるのかな、でもBUMP OF CHICKENに無理はしてほしくない、そう思ってもずっと歌っていてほしくて、それをまだ聴きたいと思う。

 

いつか今日のことも忘れてしまう、もうライブ後と比べたら全然覚えてないんじゃないかと思ってしまう、こんなにも好きで泣きながら見ていたのにもう忘れかけてしまっていることがたくさんあるのが悲しい、仕方ないけれど。でももしみんなが覚えてくれていて、いつかまた話してくれたらそれをきっかけに思い出せたりするのかな

 

とっても好きなのに、好きなんて言葉だけじゃ薄っぺらいような気持ちになる、

みんな幸せになってほしい、BUMP OF CHICKENのメンバーはもちろんだし、聴いてきたみんなも、知らないおじさんとかも

 

メンバーが40歳になって、もし病気とか怪我とかがあったらどうしようって最近たま考えるようになった、1人でもかけてほしくない、ずっととか永遠とか、無理なのは知っているけど、ずっと4人で音楽をしていてほしい、そう願ってしまう。また会いに来てくれると言ってくれた、それだけでも十分なのに欲張りになってしまうね。

 

部活で揉めた時の夜中ずっと聴いていた曲も、受験勉強中に聴いていた曲も、ちょっと落ち込んだ時に元気をもらった曲も、背中を押してくれる曲も、毎日の通学で聴いていたのも、バイトの休憩中に聴いたのも、全部思い出であって思い入れのある曲もたくさんある。それでもたまに他のバンドの曲ばかり聴いて、あんまり聴かなくなった時期もある、でもやっぱり辛い時、苦しくて悲しい時に寄り添ってくれるのってBUMP OF CHICKENが圧倒的に多い、なんで藤くんってこのこと知っているんだろうね。すごいや

 

ツアーが終わってしまって寂しいな、個人的には初めて行ったのがナゴヤドームからでファイナルまで1ヶ月半だったからか、これまでよりもあっという間に終わってしまった感覚がある。不思議、数時間前まではみんなで歌っていたのにね、もう家でひとりぼっち

 

BUMP OF CHICKENの曲を聴いてまた今日のことを何回でも思い出したい、

 

藤くんはずるいよ、勝手にそばにいてくれるなんて言ってくれるの、自分が歌った歌が未来の自分に届いて力になるなんて、十分BUMP OF CHICKENが歌ってくれてるだけで力になるのに、

 

魔法みたいな夜をありがとう、BUMP OF CHICKENの音楽がいつだってそばにいてくれると思わせてくれることだけでしあわせだと思う、ずっとこれからもだいすきでいたい、もう文章もまともに書いてる自信ないや、まあここまで読む人もいないからいっか、おやすみなさい。

 

 

f:id:Day18:20191105022405j:image

 

ブスの呪い

 

 

 始まりは小学校低学年の頃、同じクラスの男の子に「お前ってカバに似てて、ブスだよな」そう言われたのがきっかけだった気がする。その時わたしは自分のことをブスだと思うようになった。自分のことをかわいいとか、かわくないとか、自覚する前にブスだと教えられてしまった。しばらくして中学生の頃のこと。わたしは一重でとても目が細い。笑うと確かに目は無くなってしまうし、目尻が下がる。それを見た男の子が言う「お前って笑った顔、マリモッコリみたいだよな」それを聞いた他の人にも笑われた記憶がある。とても泣きたくなったけど、泣いたら負けな気がして泣かなかった。

 

 中学生の頃はメイクなんて絶対に禁止であったし、高校生はしている子もいなくはなかったと思うが、基本的に禁止だった。

 大学に入ってからはひたすらに自分の顔をいかにメイクでなんとかするか必死だった。そばかすの目立つ肌、どう見ても生えている高さが違う眉毛、ちょっと目があっただけで睨んでいると勘違いされるほど細い目、腫れぼったいまぶた、逆まつげになってるくせに短いまつげ、低い鼻のくせに鼻の穴だけは大きくすることができて、しかも笑いを堪えたりすると大きく開いてしまう鼻、しょっちゅうめくれてしまうくちびるの皮、そして外側と内側で色が違うくちびる、歯並びの悪い歯、目の下から顎までがひたすらに広い顔の余白、バカなくせに頭蓋骨が大きいせいで無駄に大きい頭、自分の嫌いな顔のパーツなんて挙げだしたらきりが無くなってくる。そう、自分の顔の全てが嫌いであるから。

 メイクをしてどうにか誤魔化そうにも限界がある。そしてやっぱり元からかわいい子は羨ましい。当たり前だ、メイクでどれだけ努力をしても、スッピンブスと言われて終わってしまう。

大学の頃、スッピンを見られてしまい、こう言われた。「妖怪細目ババア」死にたくなった。今でもその子に会う度に言われたことを思い出す。自分が気にしすぎと言われたらそれで終わりだが、自分が何年も前から気にしていたことをこうして言われると、死にたくなる。

たぶん、本人は何気ない一言だったんだと思う。それでも私は本気で整形をもっと考えるようになったし、絶対にスッピンを見せることもなく、もう顔が自虐ネタとしていくしかないのかと思った時期もあった。(実際、どう流せばいいのかわからなくて言われた当初は自虐ネタとして使ってしまった時期もあったと思う)

 

実際のところ、メイクをしてかわいくなれたのかというと、そうでもない。1番の欠点であると思っている一重は、たしかにアイプチをすれば目は2倍くらいの大きさになる。でも、アイプチは水に弱く、汗をかくととれるし、伏し目がちになると明らかにわかる。メザイクとかに変えれば?とか散々言われたが、メザイク程度の糸じゃ私のまぶたは二重にできないことが、私が何度も試してわかった。テープも試したがどうにも端っこがめくれてきてしまうのでアイプチと併用することになってしまう。アイプチでガチガチにまぶたを固めることでしか二重になれない、とても残念な目。アイシャドウがどうのとか、そんなのわかっているが、だったら私の目が今の半分になって、腫れぼったいまぶたにアイシャドウを塗っても同じことは言えるのか、と思う。たしかに目が細くてもきれいな人はいっぱいいる。それは切れ長のきれいな目。腫れぼったいまぶたの目が細い人は、とっても微妙。結局のところ、無い物ねだりなのかは知らないが、私の思うかわいい人はみんな二重のぱっちりした目の女の子。私の顔とは程遠い。

いくら努力していい基礎化粧品を使っても日焼けを気にしてもそばかすは消えない。まるで呪いみたいだと思う。いつまで経っても消えない。いっそのこと、肌から顔のすべてのパーツまで全部変えれたらいいのにと思う。整形はしたいが、手術は怖くてできない。整形ほど勇気のいる手術もなかなかないと思っています。もう二重の手術とか自分の顔を自分でやりたいくらいには医者に任せるの怖い。絶対に私の顔は、私が1番綺麗な二重を作れる自信がある。自分じゃできないのに、困ったね。

 

小学生の頃、私をブスだと言った男の子は、中学校の体育の先生になっている。中学生の頃、私をマリモッコリに似てると言った男の子は、大学院まで行ってなにやら研究している。大学の頃、妖怪細目ババアと言った子は管理栄養士の花形と言われている病院に就職し、患者さんに対しての栄養相談をしているらしい。大学生にもなって、よくもこんな人のことを傷つけるようなことを言えるんだなあと思った人間が、患者さんとコミュニケーションを取るだなんてそんなことあるもんだなあと、しみじみ思う。

 

ブスという言葉は、私をいつまで経っても雁字搦めにして離さない。かわいい子を見る度、誰かがあの子はかわいいという度、ひっそりと思い出す。自分に言われてきた言葉を。

いくら自分の顔が嫌いだからと言って、メイクをしても細かいところが気になるから鏡は無理なので、自撮りアプリで加工した自分の顔でずっといてほしいと願うばかりで。

結局、いつまでも過去を気にしているのは私だけということはわかってはいるけど、いつまで経ってもこうした夜に思い出しては悲しくなるのはそろそろやめたいと思う。

 

台風の夜より

 

f:id:Day18:20201212010750j:image

びわの木

 

幼稚園児の頃からわたしはびわが好きだった。

 

 

まだ幼い頃、わたしは祖母にスーパーでびわを買ってもらった。家に帰って食べると最後の1つが腐ってしまっていて最後のひと粒が食べれなかった。その時泣いてしまったわたしに母が埋めたらいいじゃないかと言ったらしい。その言葉を間に受けたわたしはびわを庭に埋めたのである。

 

その木から今年やっと初めてびわの木に実がなった。

 

芽が出てたのも知らなかったし、木が大きくなってから、もしかしてこれってびわじゃない?と気付いたのは埋めてからしばらく経ってからだった。種を埋めてから何年経ったかわからないが、気がついたら立派な木になっていた。去年はなんとなく小さな実がなってるなと思ったくらいで食べようと思えるくらいではなかった。

 

そんなびわがもうたべれるくらいにまで大きくなって、なんだか感動してしまった。たぶん無理かもしれないけど、一生育てたいと今は思った。

 

f:id:Day18:20190716221625j:image

 

そういえば

 

皆様に報告あります。

そういえば管理栄養士国家試験に受かりました。

めでたいことです。

 

あれほど国家試験前にはギャーギャーと受からなかったらどうしようと騒いでいたのが嘘みたいに肩の荷がおりました。でもほんとうに落ちてしまったら死んでしまうと思っていましたし、点数が足りなかったらそのまま消えてしまいたいと思ってたんだよね。びっくりするくらい、これが無理だったら人生が終わるし終わってもいいと思っていたんだよね、不思議だね。何かの節目だと思ってこうしてはてなブログに書いておりますが、3/29に合格発表がされて土日を過ごしてしまったらあらもう社会人!研修!仕事!という感じであまり受かったという感じもせずにここまできてしまったなあ。時間が経つのは早いものでもう4月も終わりかけです。

 

2月はあと国試まで1ヶ月を切ったところで、2月初めはイタリアから帰ってすぐで時差ボケも直らないまま過ぎていった。寝たいのに寝れなかったり、勉強しなきゃいけないときにひたすら眠くなってしまったりだとか。無理だと思った。勉強しなければ受からないのに、勉強ができなかった。ダラけていたと言われればそれまでだけどほんとうにできなくなってしまった。そのあとの模試は最悪の結果しか取れなかったし、2月の模試は1度も合格点を取れないまま国家試験を受けることになってとても不安で潰されて死にそうになった。ほんとに受からないと思った。毎年毎年、足切り模試で通っていれば合格率はほぼ100%で落ちても1人か2人であった。その1人になるとしか思えなかった。なんなら当日も落ちたと思った。自己採点するのがびっくりするくらい怖かった。一問一問マルを付けて、バツを付けていくたびにドキドキが止まらなかったなあ。

 

結果としては自己採点はよかったです。150点か160点くらいだった気がします。もう覚えてないや。あの頃はその数字が頭から離れることができなかったのに。もう合格したことがわかればどうでもよくなりました。そんなもんですかね。わたしの頭のポンコツさがよくわかる。

 

2月、ずっと毎日何かしら新しいことを少しずつ覚えていって終わったあとに何か1つのことをひたすら勉強していくのが楽しいと思った。合う合わないとかはあると思うけど、もしかしたら私にとって合わない学問であったかもしれないけど4年間を通してやっと最後に栄養学のこと好きになれたなあ。大学に入った時はどうしてこうなってしまったのか、この大学に来てしまったのか随分悩んだし、編入も仮面浪人も考えたけど結局のところ自分の行動力のなさでは何もできなかったなあ。なんだか高校生の頃の自分に申し訳なくなってしまうね。

 

国試のために追い詰めて勉強している時は嫌だったけど、時たまにひたすら勉強したくなる。そういうときに好きなだけするのってすごく楽しいなあと思った。新しいことを知れることとか、自分はこう思うとか、自分の頭の中を整理する事とか。

 

これからも何かしらやりたいなあと思ってはいる。できるかは別だよね。

 

最後に、あんなにももう嫌だとか受からないとか勉強したくないとか喚いていたのですが無事合格できたのはみんなが励ましてくれたからでもあると思うのでそれはほんとにありがとうございました。みんなほんとうに応援するの上手だよね。さすがわたしのフォロワーです。

 

みんなも毎日何かしらがんばっててえらい。

 

おやすみなさい。

 

f:id:Day18:20190423232123j:image

 

 

神様に祈るということ

 

管理栄養士国家試験が終わった。

 

大学四年間通っていれば当たり前のように受かるだろうと言う人もいるが、わたしにとっては当たり前に取れる資格ではなかった。

 

学内での実験レポートも同じ期日のものがかぶると寝れなかったり、長期休みに実習へ行かされたり、嫌なことはたくさんあった。何より3年間一緒に頑張ってきたクラスメイトが就活との両立が出来ずやめてしまったことが何より辛かったと思う。

 

国家試験の前々日どうしようもなく不安になって、家の近くの神社に行った。勉強している間以外の時はじっとしていたら国家試験に落ちることを考えてしまい、涙が止まらなくなった。落ちてしまったらこの先どうなるかわからなかった。落ちてしまったらその瞬間もう心臓が止まってしまえばいいのにとこれは今でも思っている。とても情緒不安定だったなと思う。神社ではお参りをしてそれから初めて絵馬を買った。お参りしている最中も涙が止まらなかった。大学受験の時は絵馬を書くのはなんだか願い事を他人に見られてしまうのが恥ずかしいと思って書けなかったが、その日は書いてしまった。

 

これまで神様に祈っても祈らなくても自分が努力さえすれば、ある程度のことができると思っていた。だから神頼みをしても結局は自分次第だと思っていた。

 

だけれど、なにかに祈らないと居ても立っても居られなくなったりした時、もう自分の努力だけではどうにもできなくなって祈ってしまう。

 

明日、結果が発表される。お願いだからどうか受かっていてほしい。マークミスもなく、受験番号も間違えずに何事もなく受かっていますように。

 

f:id:Day18:20190424235516j:image

 

 

今年も初雪が降る

 

ずっと残っている、いつだかわからない初雪の思い出の話

 

文章にするのにはなんだか気が重かった。しかし、いつか忘れてしまう前に思い出せるように一度文章にして残しておきたかった。


2019年、わたしが旅行に行っている最中に愛知では初雪が降った。


旅行中に母から雪がちらついたと連絡を受けた。その時わたしは曽祖母のことを思い出した。


両親が共働きだった私は母の実家から幼稚園に通っていた。いとこも一緒に母の実家から通っていたが、曽孫の中でも曽祖母と過ごす時間が長かったからか、一人っ子の私が一番可愛がられていたなあと今更ながらも思う。

 


初雪を食べるといいことが起こる。


雪の降る日に、そんな迷信のようなことを教えてくれたのは曽祖母であった。その日はいとこもおらず曽祖母と2人でテレビを見ていた。こたつで暖まりながら急になぜそんな話になったのかわからないが、その話を聞いた私たちはそれから曽祖母と縁側へ移動した。雪が降る寒い中、口を必死に開けて空を見上げ、口に入った!と喜んだのを覚えている。これがたぶん私の中にある曽祖母との一番古い記憶だと思う。

 

 


中学2年生の2月に、曽祖母は亡くなった。


入院する1週間前、バレンタインデーで中学生であった私は友チョコなど、たくさん友達に手作りチョコを作っては交換していた。もちろん曽祖母にも持って行った。その日から体調を崩していた曽祖母は何も喉を通らなかったが、私の作ったものだけは食べてくれた。今思えば無理をさせてしまっていたのかもしれない。それが私が最後に見た曽祖母の元気な姿だった。


それからだんだんと衰弱し、入院してからしばらくして亡くなった。その年の7月で100歳になるはずだった。


よく何かの物語で空も泣いているねと言って雨が降っているシーンがある。そんな風に、土砂降りの中でお葬式をした。その日は泣いても泣いても涙が止まらなかった。入院をした時から覚悟はしていたはずなのに。


もう金柑を一緒にちぎることも、縁側でお茶を飲むこともできないと思うとそれだけで寂しかった。中学生になったあたりから1ヶ月ほど会わないこともあった時は平気だったけれど、これから先もう会うことはないと思うと信じられなかった。

 


私はずっとおばあちゃん子であったため、度々母の実家に訪れている。そこにはもう3時のおやつの時間になったら決まってお仏壇の前でお経を読む曽祖母の姿はもういない。わかっていても寂しいもので、お仏壇の横にある遺影を見ては何も言わない曽祖母に話しかける。

 

 

 

 


来年でもう10年が経つ。


それでも私は毎年雪が降るたびに曽祖母のことを思い出して、空を見上げて口を開ける。

 

f:id:Day18:20190425000144j:image