告別

かわいいねこのて、ねこのあし

今年も初雪が降る

 

ずっと残っている、いつだかわからない初雪の思い出の話

 

文章にするのにはなんだか気が重かった。しかし、いつか忘れてしまう前に思い出せるように一度文章にして残しておきたかった。


2019年、わたしが旅行に行っている最中に愛知では初雪が降った。


旅行中に母から雪がちらついたと連絡を受けた。その時わたしは曽祖母のことを思い出した。


両親が共働きだった私は母の実家から幼稚園に通っていた。いとこも一緒に母の実家から通っていたが、曽孫の中でも曽祖母と過ごす時間が長かったからか、一人っ子の私が一番可愛がられていたなあと今更ながらも思う。

 


初雪を食べるといいことが起こる。


雪の降る日に、そんな迷信のようなことを教えてくれたのは曽祖母であった。その日はいとこもおらず曽祖母と2人でテレビを見ていた。こたつで暖まりながら急になぜそんな話になったのかわからないが、その話を聞いた私たちはそれから曽祖母と縁側へ移動した。雪が降る寒い中、口を必死に開けて空を見上げ、口に入った!と喜んだのを覚えている。これがたぶん私の中にある曽祖母との一番古い記憶だと思う。

 

 


中学2年生の2月に、曽祖母は亡くなった。


入院する1週間前、バレンタインデーで中学生であった私は友チョコなど、たくさん友達に手作りチョコを作っては交換していた。もちろん曽祖母にも持って行った。その日から体調を崩していた曽祖母は何も喉を通らなかったが、私の作ったものだけは食べてくれた。今思えば無理をさせてしまっていたのかもしれない。それが私が最後に見た曽祖母の元気な姿だった。


それからだんだんと衰弱し、入院してからしばらくして亡くなった。その年の7月で100歳になるはずだった。


よく何かの物語で空も泣いているねと言って雨が降っているシーンがある。そんな風に、土砂降りの中でお葬式をした。その日は泣いても泣いても涙が止まらなかった。入院をした時から覚悟はしていたはずなのに。


もう金柑を一緒にちぎることも、縁側でお茶を飲むこともできないと思うとそれだけで寂しかった。中学生になったあたりから1ヶ月ほど会わないこともあった時は平気だったけれど、これから先もう会うことはないと思うと信じられなかった。

 


私はずっとおばあちゃん子であったため、度々母の実家に訪れている。そこにはもう3時のおやつの時間になったら決まってお仏壇の前でお経を読む曽祖母の姿はもういない。わかっていても寂しいもので、お仏壇の横にある遺影を見ては何も言わない曽祖母に話しかける。

 

 

 

 


来年でもう10年が経つ。


それでも私は毎年雪が降るたびに曽祖母のことを思い出して、空を見上げて口を開ける。

 

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